Wataru Takada / 高田渡

Wataru Takada / 高田渡
Biography

高田 渡(たかだ わたる、1949年1月1日 – 2005年4月16日)は、1960年代から2000年代にかけて活躍したフォークシンガー。

岡林らとの「三億円強奪事件の唄」「自衛隊に入ろう」、「転身」「しらみの旅」「生活の柄」「長屋の路地に」「鉱夫の祈り」など数多くのアメリカ民謡に詞を乗せた曲を生み出している(上記の曲、全て原曲はアメリカ楽曲)。「自衛隊に入ろう」は、1968年の第3回関西フォークキャンプ、1969年の第4回関西フォークキャンプのコンサートのライブ録音が有名。

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1960年代後半に、遠藤賢司、南正人、金子章平(後に音楽プロデューサーとして活躍)、真崎義博(ボロディラン)らと東京でアマチュアシンガーの集団「アゴラ」として活動。

1968年第3回関西フォークキャンプ(8月9日-11日、京都・山崎「宝寺」)に参加。「自衛隊に入ろう」や「事だよ」を唄い、観客に衝撃を与える。

1960年代末、京都に拠点を移す。高石ともや、岡林信康、中川五郎、早川義夫、加川良、岩井宏らと関西フォーク・ムーブメントの中心的存在となる。

1969年にURCレコードから五つの赤い風船とのカップリングアルバムでデビュー。また後に、京都のひがしのひとし、古川豪らと親交を深める。全日本フォークジャンボリーには第1回から参加。

弾き語りと対話形式の『汽車が田舎を通るそのとき』をリリース。キングから、はっぴいえんどを従えた『ごあいさつ』をリリース。この『ごあいさつ』には、高田の代表曲でシングルカットもされ、後に真心ブラザーズがカバーした「自転車にのって」、後述する「値上げ」等が収録されている。

1970年代初頭、東京に拠点を移し、シバ、友部正人、いとうたかお、なぎら健壱、佐藤GWAN博、林ヒロシ、林亭(佐久間順平・大江田信)らを率い、「吉祥寺フォーク」の第一人者的存在に。 拠点となった「[BLUES HALL / [武蔵野火薬庫 ぐゎらん堂」は、様々な音楽や演芸や芸術の空間だった。

1971年の第3回全日本フォークジャンボリーでジャグ・バンド武蔵野タンポポ団を編成。吉祥寺派に加えて中川イサト、山本コウタローが参加。また、シバ・いとうたかおが武蔵野タンポポ団により人気者に。そのときの模様は、『武蔵野タンポポ団の伝説』『もうひとつの伝説』としてベルウッドからリリース。

『系図』では、タンポポ団を従えてレコーディング。いとうたかおの唄う「あしたはきっと」が収録され、それが好評で、いとうのアルバムデビューの布石となる。 1970年代半ば、カントリー・ブルーグラス色をより深める。

1973年、薗田憲一 (薗田憲一とディキシーキングス)、柳田ヒロを従えた『石』をリリース。

1976年、細野晴臣、中川イサト、ヴァン・ダイク・パークスらをバックに、『FISHIN’ ON SUNDAY』をリリース。春一番コンサート、ホーボーズコンサートなどに参加。

1977年、佐久間順平らとヒルトップ・ストリングスバンド結成。フォーライフ・レコードから『バーボンストリート・ブルース』を発表。

1983年、『ねこのねごと』リリース。

1993年、『渡』リリース。

1999年、ライヴアルバム『ベストライブ』発表。

2001年、『日本に来た外国詩…。』リリース。

2004年、彼の日常とライヴ映像を写し撮ったドキュメント映画『タカダワタル的』が発表され注目を集める。監督はタナダユキ。

2005年4月3日、北海道白糠町でのライブ後に倒れ、隣の釧路市内の病院に入院。同月16日午前1時22分、入院先の病院で心不全により死去した。享年56歳.

(wikipedia)